くわのみブログBlog

日記 2020.9.22

ひとりひとりの「原風景」の記憶を呼び戻すお手伝いを

 耕グループでは入社後の人生をスタッフが振り返って綴っています。今回は看護小規模多機能ホームスタッフの振り返りを掲載します。

「あの東日本大震災の年の五月、送迎運転手として入社して、丸八年が過ぎました。あれやこれやと思い返し、いろんな記憶が蘇るのですが、それが三年前だったのか一昨年だったのか?それとも…。二〇二五年には六五才以上の五人に一人は認知症という状況に、もうすぐその歳にさしかかる者として「まあしゃあないか…」と思う反面、一年一年、一日一日を耕グループで働ける喜び?をかみしめながらの今日この頃です。

さて、あらためて思うこと…半世紀近くの労働人生、数々の職業を経験した末に最後になるであろう耕グループに辿り着きました。入社して数か月が過ぎた頃、風呂掃除で抜いた湯船の中で一緒に作業していたA主任(当時)が「山田さん、この仕事合ってますよ」といわれました。その時は“えっどこが??”と思うと同時に“このままの姿勢でいいのか”とも思ったものです。

また、最近では、高校時代からの友人が、夏祭り等も含め、数回くわのみに来所した折、こんな風に云いました。「お前、ええとこに入ったなあ天職やわ…」そんな風に云われうれしくもありました。 今年四月末、白寿を迎えた男性利用者Tさん勿論、戦争体験者でもある方です。復員後の趣味として永年後8mmフィルムで家族記録等を映像に残してこられました。

くわのみでの白寿祝いに映像を写そうと企画したのですが、その日に合わせ、映写機を点検している内に壊れてしまったようです。

部品が見つからない限り幻のフィルムとなってしまいそうです。私達も残念でしたが、本人と家族の方達がもっと悲しいい想いがあったと思います。人それぞれにある“原風景”形に残らないまでも、機会ある毎に記憶を呼び戻す手伝いをしたいものです。 くわのみ坂を登りきった右側に三年程前に植えた河津桜が、今年の春、ほんの少しの花を咲かせました。植樹してから枯れかかったのですが、なんとか持ちこたえた様です。

生前Nさんが愛した河津桜、ご遺族の娘さんが寄贈してくれました。桜の木の前にある小さな木製看板には、名前の付いた桜名と裏にはこんな句が記されていました。(今は読みとれません)“長い道 このひとすじの 平和道”生前、この句を贈ると「私の名前が入ってる、ありがとう」とニッコリ笑ってくれました。

私の実父母も、生きていれば今年、白寿を迎えています。入社当初から親と同年代の利用者さんと接する中で時折り、自身の中の“原風景”が蘇えってきます。これからも利用者さんに寄り添い、良き介護者として、耕グループに残りたいと思います。その節には、いろいろと忖度の程、よろしくお願いします。」 by 看護小規模多機能ホーム 職員